2022年1月10日月曜日

親族会で思うこと

 






三連休の中日に
神楽坂にある中華レストランで
年初めの親族会が行われた。

毎年、元旦の午後から我が家に集い、
ワイワイガヤガヤやっていた
ホームパーティ形式の集まりが、
大人11人子ども2人に膨れ上がった現在、
ちょっと無理かなということになり、
初めて外のレストランにセッティングされたのだ。

昨年のお正月は
コロナの影響でとりやめになったので、
親族が顔を合わせるのは2年ぶりだ。

その間に
ダンナの下の妹の子ども(男性)が結婚した。
(親族で亡くなった人はいない)

私たちはてっきり結婚式が行われると思ったが、
結婚式も親族紹介の意味合いの食事会も
しないというカップルだったので、
昨日の親族会が
お嫁さんの紹介の場になった。

すでに彼らは入籍から丸1年が経っている。

私事だが親族の構成に触れると、
ダンナは3人兄弟の長男で
下に妹が2人いる。

両親はすでに亡くなっているので、
今は長男であるダンナが
親族の取りまとめ役である。

妹は2人とも結婚しており姓は萩原ではなく、
上の妹には子どもがいない。
下の妹には男の子がひとりだけ。

それが今回、結婚した男の子だ。
当然、彼は妹の嫁ぎ先の名を名乗っている。

昨今は少子高齢化で、
我が親族もこれに倣って、
まだ結婚していない娘もいるし、
結婚しても子どもがいない夫婦もいるし、
子どもは1人だけというところもある。

因みに私自身はふたり兄弟の姉で、
ダンナと結婚してふたりの娘を生んだ。
娘の1人は結婚したから萩原姓ではなくなり、
子どももふたり生まれたが
ふたりとも女の子なので、
将来、今の姓を名乗り続けるとは限らない。

何が言いたいかというと、
親族会といっても、13人が集ってみれば、
元萩原3兄弟の内、
今も萩原姓を名乗っているのは
ダンナと私と次女の3人だけということ。

話は変わるが、
昨日、初めて紹介されたお嫁ちゃんは
誰もが知っている交響楽団のヴァイオリニストだった。

その仕事に就いたのはまだ2年ほど前で、
そのキャリアを捨てないでいるためには、
たとえ夫が海外転勤になっても
ついてはいかないと決めているという。

子どもは欲しいらしいが、
商社マンの夫とヴァイオリニストの妻の間に
生まれた子供はだれが育てるのか。

今や、共働きのカップルは世間の常識とはいえ、
1歳半からヴァイオリンを弾き始め、
29歳までヴァイオリンの学校に通い、
ようやく今のポジションを手に入れた女性が、
さて、どんな母親になりどんな育児をするのか。

姑のように心配をしているのは
私だけか?

会では最高齢になるダンナの上の妹の連れ合いが
「萩原家の一員になってくれて嬉しく思います。
天国の萩原のお父さんとお母さんにも
乾杯しましょう」と
とんちんかんなお祝いの挨拶をし、
みんなをざわつかせたが、
「萩原家の一員」とは一体、何か。

そもそもご自分も萩原姓ではなく、
自分の姓を上の妹は名乗っているわけだが、
その名を受け継ぐ子どもは生まれていない。

私の孫たちの目線でいえば、
新婚カップルに子どもが生まれれば、
いとこということになる。

今のところ、
貴重ないとこ候補なのだが、
もしかしたら、生まれてこないかもしれず、
そうなると孫たちには
いとこがひとりもいないなんてことになる。

新婚カップルはそれぞれひとりっ子なので、
枝葉のように子孫が繫栄するという図には
到底ならないのだ。

医療が発達して、人は長生きするようになった。
女性も自分のやりたい仕事を全うするのが
当たり前の世の中になった。

でも、動物学的に言って
子孫は生まれていないのが現実なので、
お家断絶みたいな旧弊な考え方は別にして、
命のバトンは引き継がれないのかと
少し寂しい。

コロナで人の交流に制限がかかっている内に
大切な人が死んでしまったりして、
「あの時、会っておけばよかった」ということに
なるのではと
最高齢のダンナの上の妹の連れ合いを見て思った。

それは我が娘たちも感じたようで、
散会後、その危惧を口にした。

人は会う時には会っておかないと、
気持ちのつながりが途絶えてしまって、
親族も一族もないな~というのが、
今回の親族会で痛感したことだ。

月3回、孫たちの成長を見守りながら、
人が一個人でなすべきことと、
親族みたいな単位でなすべきこと、
その両立は難しいけど、
考えた方がいいのではと思った。





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