2024年6月2日日曜日

展覧会直前の舞台裏

 











毎年6月に開催されるグループ展
「紫陽花展」の搬入日まであと1週間となった。

1年間に制作した作品を
この展覧会に出品し、発表すること四半世紀。

私にとって、この展覧会で
1年間の自分の版画家としての歩みを
確認するような意味合いがある。

ここで毎年6~7点の作品を並べて
客観的に見たり、
お客様の意見や感想をいただくことで、
次の1年の方向性や方針を決める
大事なグループ展である。

また、グループ展なので
他の日本画や油絵の作家さんの作品も
見ることで、刺激を受けたり
ヒントをもらったりすることもある。

事実、今年の私の作品は
昨年の紫陽花展に出品した際に
いただいた意見や感想を受けて
かなり画風が変わった。

昨年、ひとつの作品のための版を
3点の作品として展開するという試みを
したところ、
意外にも全部の版をすべて摺らない
シンプルな作品の方が人気が高いという
現象が起きた。

版数すべてを摺らずに
紙の白を生かしたり、
花をシルエットにしたりしたものの方が
すべてを説明したものより
見る人の想像に任せる部分があり、
心にスッと入り込めるということが
わかった。

それに気づいた今年の作品は
版数も色数も最初から少なくし、
紙の白を計算に入れた構成、
花と葉のうち葉っぱは黒1色にして
彫りで魅せるという形にしたので、
一層、木版画ならではの表現になったと思う。

その表現の変化を世に問う展覧会が
1週間後に始まる。

少し前から自宅のストックルームから
今回の作品に使えそうな額を引っ張り出し、
額の点数とマットのサイズ、状態などを点検。
不足分については額縁屋さんに出向いて
新たに注文したりして
額装の準備を進めてきた。

そんな新しく注文した額やマットが、
昨日、届いたので
いよいよ今日は額装作業である。

先日、亡くなったフジコ・ヘミングの
ピアノ曲をBGMにかけ、
額縁内にほこりや髪の毛など入らないよう
細心の注意を払いながら
静かに作業を進めた。

額縁は人で言えば
ヘアスタイルのようなもので、
どんな顔の人でもヘアスタイルが決まらないと
美しくないし、気持ちも上がらない。
絵もそれと同じだ。

この1年間に
それぞれのテーマで原画を起こし、
版木転写して版を彫り、試し摺りをし
本摺りを経て、誕生した作品たち。

でもここまでだと、
まだ1枚の和紙にすぎない。

そこにふさわしい額とマットがセットされ、
初めてお披露目の時を迎えることができる。

作品サイズは確かにこの額とマットでよくても
何年か前に使った額を出してみたら
マットにぽつぽつとカビが出ているものがあった。

中にセットしてあった作品には
何もトラブルはなかったのでよかったが、
このマットはもはや使えない。

急遽、数日前にそのことに気づき、
横浜の画材屋さんに駆け込み、
マットを切ってもらった。

他にも、再来年の個展を見越して
新しく額を4本、注文した。

一度に数多くの額を注文するのは
お財布が厳しいと考えてのことだったが、
それにしても額縁とマットの昨今の値段の
上がり方には、恐怖さえ感じる。

いくら作品そのものの価格を据え置いても
企業努力だけでは吸収できないところまで
材料費や額縁代などの高騰が押し寄せている。

それでも作品を作り続け、
皆さんにご高覧いただくことの意味を問いながら
今日は粛々と
作品を額に収める作業を行った。

フジコ・ヘミングは
昨年11月、自宅の階段から落ちて骨折し、
その事故を機に寝たきりの生活になった。
すい臓がんも見つかり、
最後は耳も聞こえないし目も見えなくなり、
病院に運び込まれたピアノの前に座った時、
うまく指が動かない現実と直面した。

そして、最後は自らピアノの蓋を閉じ、
その数日後に息を引き取ったという。
結局、春に行われるはずの
「ラ・カンパネラ」に由緒のある地での
コンサートの企画は実らなかった。

私にとっては
このグループ展も小さな舞台。
毎年、行われる定期演奏会みたいなものだ。

この1年の歩みを目に見える形にし、
皆さんに見ていただき、
自分でも整理し観察する機会だ。

私はあれこれ四方八方、手を出してはいるが
版画制作に自分の体幹の筋肉があると
思っているので、
グループ展とはいえ、
真摯に謙虚に迎えられたらと思う。















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