2024年7月30日火曜日

夏休みは毎日、お弁当

 


















7月20日から、新1年生の孫1号は
夏休みに入った。

孫たちが保育園に通っていた去年までは
1年中、保育園は働く親のために
子ども達を預かってくれていたが、
小学校はそうはいかない。

孫2号はまだ保育園児だが、
孫1号の方は7月20日からは
同じ小学校内の学童保育で1日の大半を
過ごしている。

当然、学校給食など望むべくもなく
学童へはお弁当と水筒を持って
出かけていくことになる。

お稽古ごとの公文も
時間になったら、ひとりで学校を出て
公文の教室まで行き、
そこから自宅まで帰ってくる。

ほんの少し前までは
どこへ行くにも
親が送り迎えするのが当たり前だったのに
今はひとりで行き来するのが当たり前だ。

娘(長女)の方も春に転職したせいもあり、
5月からは時短で働いていた以前の会社より
長時間勤務になった上に、
先週などは初めての出張とやらで
泊りがけで仕事に出かけていた。
(といっても品川のホテルに泊まって
研修の講師をしているのだが…)

当然、孫たちは「ひとりでできるもん」と
いえるジャンルを増やさざるを得ないし、
婿殿も完全協力体制で臨まないと
家が回っていかない。

昨今の女性達は
結婚年齢が30を回っていることなど
珍しくもないし、
従って出産年齢も遅れるので、
女性の人生で仕事と子育ての時期が
がっつり四つに重なってくる。

世代間格差を感じるが
オーママとしては
食事作りで手助けするぐらいしか
してやれることは無い。

というわけで、
先週も今週も「ばぁばご飯」は
完全にお弁当のおかずに使えるネタばかり。

汁気の多いものはNGだし、
腐りやすいものもNGだ。

先週は
「きんぴらごぼう」「ささみのフライ」
「鶏モモの照り焼き」「ゴーヤチャンプルー」
「キャロット・ラぺ」
「海老と枝豆の中華炒め」
「ブロッコリーのオムレツのせ」
「ポテトのチーズ焼き」

今週は
「パリパリチキン」「かぼちゃの肉あんかけ」
「手羽中のオイマヨハニー」
「ほうれん草とコーンのバター炒め」
「鮭と野菜の照り焼き」
「きゅうりとオクラの甘酢サラダ」
「卵の巾着煮」「炊き込みご飯」
という具合だ。

孫1号は几帳面で真面目なタイプなので
いつもの夕飯でもお弁当でも
完全に食べきることを信条にしている。

なので、あらかじめ苦手なキノコ類や
鳥の皮などは入れられない。

手羽中のオイマヨハニーは
しっかり焦げ目がついていれば
食べられるらしいので、
焼き目が濃いあたりを選んでいる。

これで今週の金曜日まで
やりくりするのだろう。

体温越えの猛暑の中、
しっかり栄養のあるものを食べ、
水分補給を怠らず
初めての夏休みを乗り切ってもらいたい。

今夜も
今週のオーママのミッションを終え、
帰路についたが、
帰りの電車は案外混んでおり、
急遽、マスクをした。

猛暑とコロナと食中毒、
夏を無事、乗り切るのも一苦労だ。





























2024年7月28日日曜日

サマーホリデーは彫りデー

 













とにかく暑い。
カウンセリングが入っていない限り、
家にいて、彫りの作業を進めている。

世の中はサマーホリデーだが、
私にとっては彫りデーだ。

周りが思う「人の3倍生きてる」としたら
こういう時間に木版の仕事を進めなければ
結果は出ない。

別に本人は苦痛でも何でもなく
この時間を楽しんでいる。

頭の中ではいろいろなことを思い出したり
考え事をしたり。
ニヤニヤしたり、唇をかんだり。

耳ではサザンを聴いたり、石田様を聴いたり。

すぐ横のテレビをつけながら
オリンピックの開会式ダイジェストを見たり
日本金メダル1号の角田夏実選手の
豪快な巴投げの解説を見たりしている。

31歳で初めてのオリンピック。
遅咲きの柔道選手にかかる
このオリンピック
1個目の金メダルと通算500個目の金メダル。

身長が161㎝あるのに48キロ級に階級を落とし
長い手足を活かして
豪快に相手を投げ飛ばして寝技に持ち込む。

朝からそのシーンを繰り返し見ながら
あんな風に相手を蹴り上げ、
投げ飛ばせたら、
さぞや気持ちいいだろうなと思う。

君が代の流れる表彰台で
31歳の頬には涙がとめどなく流れた。

私達はその輝かしい結果しか知らないが、
彼女にこれまで
どれだけ多くの苦しみと迷いがあったことか。

あまたの選手の歓びや悔しさのドラマが
この17日間に繰り広げられることだろう。

私は一言も発せず、
ただ、彫り台に向かい、
彫刻刀を動かしているだけだけど、
心の中ではふつふつと
「私も頑張るぞ」という気持ちが湧いてきた。





























2024年7月27日土曜日

昼からほろ酔い酔芙蓉

 










連日連夜の猛暑が続いている。

私は連日、午前中にカウンセリング、
午後は木版の彫りの作業。

カウンセリングは予約の時間の15分前には
カウンセリングルームでスタンバイできるよう
家を30分前には出て、
最寄り駅のカウンセリングルームへ向かう。

その途中、
大岡川という川添いに
酔芙蓉という木が何十本も植えられている所の
脇の遊歩道を歩いていく。

今年は酔芙蓉の裏の年らしく、
いつもならちょうど見頃を迎える時節だが、
今年は数本の木にしか花がついていない。

酔芙蓉は物語性の強い花で
朝、開花した時は白い花なのに
夕方になるとピンクに色づく。

それがまるで酔って頬を染めた女性のように
見えるところから
「酔芙蓉」の名がついた。

高橋治の「風の盆恋歌」という小説には
酔芙蓉の花が印象的に扱われていて、
主人公の女性の心情を物語っている。

私はその小説にもハマったし、
酔芙蓉の色っぽい姿にも惹かれているが、
今年の酔芙蓉はちょっと違った。

朝9時40分、
川沿いに咲く酔芙蓉は瑞々しい白い花を
つけていた。
隣の濃いピンク色の丸まった花は
昨日咲いて、落花寸前の状態。

カウンセリングを終え、買い物をした後、
同じ道を戻ると
まだ、12時半ぐらいなのに
酔芙蓉はすっかりピンクに染まっていた。

強い日差しが照り付け、
酔芙蓉の木は濃い影を落とし、
ピンクの花はまるで汗をかいたかのように
火照って見えた。

こんなに早くピンク色になってしまうなんて
元々、1日花の短くはかない命なのに、
半日でその命が尽きてしまうかもしれない。

体温を超えるほどの暑さは
夕暮れを待つことなく、
その灼熱で、白い花弁を容赦なく
ピンクに染めてしまったようだ。

その脇を通る私も
行きより増えたエコバッグの持ち手と
カウンセリングアイテムの入ったバッグを
両の腕に食い込ませ、
日傘をさしているが、
更にサングラスをしていても眩しく、
額に汗がしたたり落ちる。

地球温暖化も叫ばれて久しいが、
毎年、異常気象と言っていいほどの暑さは
いや増すばかり。

私は農家でもないし、漁師でもないので、
自然の驚異が直接的に生活を脅かすものでは
ないが、
こうした小さな花の変化を見ても
何かおかしい、
何か私にできることはないか、
私がすべきことはないか、
そんなことを考えてしまった。

今日は夕方6時半から、
また、カウンセリングが入っている。

夕方、同じ道を行くと
あの昼過ぎにピンクに染まっていた酔芙蓉は
どうなっているだろう。

酔っぱらったどころか
泥酔状態になって
すでに落花しているのかもしれない。
まだ、明るいうちに酔いつぶれるなんて
色っぽいどころか興醒めだ。

暑さも酒量もほどほどに。
風情を感じる程度がいいと
今年の夏に思ったことである。

パリのオリンピックの開会式は
セーヌ川が舞台だというのに
どしゃ降りの雨。

それはそれで素敵と思いたいところだけど、
情け容赦ないどしゃ降りだった。

それもこれも地球温暖化のせいなのか。
人の想いと裏腹に
自然の猛威が荒れ狂っているのを感じる。





こちらが夕方6時前の酔芙蓉。
全員、酩酊状態で酔いつぶれてしなだれて…。

まだ、落花してはいなかったが、
朝、凛として咲いていた姿と同一の花とは
思えない変貌ぶり。

こんな風に酔っぱらった女性を可愛いと思う
男性はいるとは思うが。
面白い花である。

























2024年7月21日日曜日

追熟する時間

 











この週末は土曜日は陶芸とカウンセリング、
日曜日は木版の彫りがスタートした。

陶芸の作業は先々週の土曜日に作陶した
8個の湯飲みの削りだった。
木版の彫りがいよいよ始まり、
ここからしばらく真夏の暑い日は
外に出歩く仕事や用事がない時は
家に籠って彫りの作業が続くことになる。

こうした手は動かしているが
頭は考え事ができる作業をしている時、
私は大体、ここ1~2週間の出来事を
思い出しながら、
自分の振り返りの時間にあてている。

7月半ば、
パティシエ学校の非常勤講師の授業が終わった。
終わったと言っても夏休み前の授業の最後で
9月初めの習熟度テストのための対策と
圧迫面接を受けた時、どう受け応えするかを
問題を解きながら解説した。

4つのクラスの内、
内定がとれるか案じていた学生がいるクラスだけ
9月に授業がないことが判っていたので、
そのクラスのクロージングで
「私の授業は、役に立ちましたか」と
訊いてみた。

多くの学生が私の顔を見ながらうなずき、
あっちでもこっちでもアイコンタクトができた。
特に可愛い女子学生のふたりが
両手でハートマークを作って
手を振ってくれたのが嬉しくて、
私もハートを作ってお返しをした。

内定がとれたばかりのM君とS君とも
アイコンタクトしながら
内心、よかったよかったとつぶやいた。

あのシーンは心温まるいいシーンだったなと
彫刻刀を動かしながら思い出した。

彼らにとって
私は「好きな先生」でいられたと思う。

また、先週はやけにカウンセリングの多い週で
1日に4人ものクライエントさんと
セッションする日もあった。

そのひとりひとりと話した時の表情や言葉が
脳裏によみがえる。

熱中症になりかかっても
夕方からなら行けるとやってきた方は
「夏は日中は動けないので、何とかして
夕方、先生にだけ会いに出かけたいので
この先、週一で予約していいですか」と
向こう3回分の予約をしていった。

その方は食欲が全然ないというので、
「スープを作って飲むのはどうかしら」と
「冬瓜スープ」と「ラタトゥイユ」のレシピを
教えたりもした。

また別の方は
何かというと
「40代の頃はこんなこと何でもなかった」と
今の自分を嘆き、
「来週、孫と合うのにちゃんと行けるか心配」と
先の心配ばかりしていたのだが、
いつのまにか
「こう考えれば大丈夫」と今を大切にするように
なっていた。

「今日は一度も、過去に出来ていたことを
今は出来ていないと悔やんだり、
未来の心配を口にしていませんね」というと
一瞬、あっという顔をして
自分で自分に拍手した。
もちろん私も一緒に拍手した。

「私、少し変わりましたよね」と
とても嬉しそうに微笑んだ。

彼女たちにとって
私は「頼もしいカウンセラー」であろう。

他にも
コンサートに一緒に行った友人や
ダンナさんの病が発覚した友人との会話が
思い出され、
彼女たちにとっての私は
どんな役目を持っているのだろうと考えた。

同年代の同性の友人は
同じ年代を生きてきたという共通項があり、
その他に共通の話題があるので、
今も友人として長く続いている。

それは決して、先生でもなければ
カウンセラーでもない位置づけだろう。

最近、会ったり話したりした人は
他にも何人かいるが、
その方達にとっての私は
どんな存在なのか。

認知行動療法では
「重要な他者」という仕分け方で
人間関係を考察することがある。

「その人はあなたにとって
どんな存在ですか?」という問いかけに
答えてもらうという考察なのだが…。

彫りをしながら、
今日もJUJUやサザンをかけていたが、
サザンの歌に「LOVE AFFAIR」という曲が
ある。

その歌の中に
妻子ある男性が好きな若い女性に対して
「ただの男でいたい」という歌詞があり、
今日は妙にその歌詞がひっかかって
頭の中で何度もリフレインした。

人には役割があって
大人になればなるほど、
その役割を遵守しながら日々を暮らすことが
暗黙の了解になっている。

しかし、その役割をうまく果たせない人が
カウンセリングルームには
大勢やってきて
私に「どうしたらいいか」とたずねてくる。

妻や夫として、母親や父親として、娘として
社会人としてなどの大人の役割である。

その中には「ただの男でいたい」とか
「ただの女でいたい」なんてことは
含まれていないのかもしれない。

桑田佳祐自身は
「自分はそうしたことは一度もない」と
言っているが
それでも大人の願望として
誰かの「男としてだけ生きていたい」という
想いが根底にあるから、
この歌が生まれたに違いない。

私も誰かの「女としてだけ生きてみたい」
そんなドロッとした思いが
ないわけではない。

それが非現実的と分かっていても
この曲の歌詞にひっかかるのは
単に猛暑のせいだけではないのだろう。

とりあえず、
冷えた麦茶とリンツのチョコで
ブレイクすることにしよう。





















2024年7月20日土曜日

医食同源 冬瓜スープ

 





関東地方の梅雨も明け
いよいよ猛暑の夏が始まった。

夏は元々、案外強かったと思うが、
近年のこの猛暑はさすがに身にこたえる。

カウンセリングのクライエントさんにも
熱中症のような症状が出て、
日中は動けなくなるので
夜のセッションに移動する方もいるし、
具合が悪くて当日キャンセルをする方もいる。

カウンセラーの私が倒れるわけにもいかないので
自分の身は自分で守らなければならないが、
そうした時、大切なのは
日々の食事に何を摂るかだと思っている。

クライエントさんにもご紹介したのだが、
夏バテ予防にいいのは
滋養のあるスープを飲むというか
食べること。

転勤族の家族として
香港に長く滞在していた時、
中国の医食同源の考え方に触れる機会があった。

中国人は食材の効能をよく知っていて、
体にいいものと悪いもの、
具合の悪い個所に効能のある食材など
上手に普段の生活に取り入れて生活していた。

それをアマさんといって
我が家に通ってきていたお手伝いさんや
長く香港にいる日本人の友人
少し習いに行っていた中華料理の先生から
教えてもらって、
なるべく自分も取り入れよう思っていた。

冬虫夏草の入っているスープや
鶏丸ごとを炊いた白湯スープ、
朝鮮人参その他の薬草が入ったスープなど、
スープという形にして食べることは多く、
その中に冬瓜のスープもあった。

帰国してからは
簡単に冬虫夏草や朝鮮人参を手に入れることは
出来ないので、
私は夏になるともっぱら
「冬瓜のスープ」を作ることにしている。

冬瓜は名前に冬がつくけど、
夏の代表的な野菜。
日本人にはなじみの薄い野菜なので、
スーパーで見かけても手に取る人はまれだが
スープの具材としてや牛肉と炒めると
とろりとした食感が優しくて
私は好きな野菜のひとつだ。

冬瓜のスープはまず、冬瓜の皮を厚めにむき
大き目のひと口大に切る。
他の具材は、鶏もも肉、干しシイタケがマスト。
ショウガもスライスしてたっぷりと。

筍もよく合うが、手元になかったので、
今回は他にきくらげと白きくらげを入れ、
中華スープらしい感じにしてみた。

干しシイタケを使うのはその戻し汁が
とても滋養があるためで、
スープの味付けには戻し汁、ショウガ
コンソメ顆粒(中華スープの素も可)
日本酒、塩少々、醤油少々。

肝心なのはしいたけの戻し汁とショウガだ。
水に食材と調味料を投入して
30分ぐらいコトコト煮るだけなので
調理としてはいたって簡単。

冬瓜がすこし透き通ってきたら火を止め、
暫くすると、完全に冬瓜が透明になり、
味が染みる。

このスープをすべていただくことで
お汁に染み出た栄養を余すことなく
取り入れることができるので、
味付けは穏やかに控えめにする。

この「冬瓜スープ」は
冷房による冷えを体の芯から温め、
夏バテ予防にもいいと言われている。

他に合わせたのは
「きゅうりとわかめの酢の物」
「かぼちゃのひき肉あん」
「甘塩さけの焼き物」

夏になると「そうめん」とか「そば」とか
単品の簡単なものや
火を使わないものになりがちだ。
しかし、
常夏の香港やシンガポールに住んでいた私としては
それじゃ、通年、そんなものばかりに
なってしまうので、
暑いからこそしっかり栄養のあるものを
摂らなくてはと思っている。

今日も外は朝から30度越え。
さあ、気合を入れて
天城越え、じゃなくて、陶芸へ。
夜は本日もカウンセリングが入っている。
頑張るぞ!おー!