2025年7月30日水曜日

津波警報発令中の懐石料理

 




















今日はお茶の友人が、快気祝いと称して
北鎌倉の「幻兎庵」という懐石料理のお店を
予約してくれた。

お店のHPを見る限り古民家を改装したお店で
一品ずつ丁寧に作られた懐石料理なので、
気合を入れ、お洒落して出かけることにした。

出がけにテレビでどこかで大きな地震があり、
津波注意報が津波警報に変わったので
横浜や鎌倉あたりの電車も遅れが出ているという
情報が伝わってきた。

スマホで確認すると、
最寄駅から地下鉄で戸塚駅までは大丈夫だけど
そこから先の横須賀線は7分遅れだという。

しかし、実際に戸塚に着くと
横須賀線どころか他の東海道線などの
すべての電車が止まっていた。

その時は、地震があっての津波警報ではないので、
その内、警報は解除になるだろうと思い、
とにかく他の手段で北鎌倉を目指した。

鎌倉に住んでいる友人からも
「今、タクシーに乗れた」と連絡があり、
私もほとんど同時にタクシー乗り場で順番が来た。
思わぬ散財だったけど、
とにかく楽しみにしていた懐石料理なので、
着くことだけを考え、北鎌倉を目指したのである。

お店は北鎌倉の駅からは少し歩いたが、
少し坂の上にあって、
緑を借景にいかにも鎌倉らしい風情だった。

お料理も期待にたがわず美しく、凝っていて
季節の食材をふんだんに使ってあり美味しかった。

私達以外にはすでに3組のお客さんがいて
津波警報の中、
みなさんどのようにここまでいらしたのか。

友人とはお茶のお稽古でご一緒だが、
お茶の話というより、
今回の手術や出版、映画「国宝」の話などで
大いに盛り上がり、
たっぷり食事とおしゃべりを楽しんだ。

そして、2時過ぎ、
窓の外は夏の日差しがまだまだ強い昼下がり。
スマホで情報確認したが、
未だ津波警報は解除されておらず、
電車、バスなど公共機関は軒並み動いていない。

他の3組のお客さんも
「どうする?歩いて鎌倉まで行く?
でも、鎌倉に出てもタクシー捕まらないよ」など
皆、同じことを言いながら、
それでも1組2組と店を出ていった。

私達はもう少しここに留まって様子をみようと
4時過ぎまで、お店の厚意に甘えていた。

しかし、4時20分、
まだ、全く警報が解除される見込みもないので、
そこから鎌倉の友人宅まで40分ほど歩いていき、
友人が車で電車の通っている駅まで
送ってくれることになった。

意を決して店を出て、
北鎌倉の駅前の通りを鎌倉に向け
歩いている道中、
向うから「回送」のランプをつけたタクシーが
通りがかった。

友人がすかさず止めて交渉してくれると
途中の大船か戸塚まで乗せてくれるという。
なんというラッキー!!

乗ってから
聞けば横浜まで帰る回送タクシーだという。

なので、
「帰る途中だったんで、上大岡までいきますよ」と
快く引き受けてくれ
しかも安くしてくれるという。
行きのタクシーが戸塚から北鎌倉まで4,500円。
その倍以上は距離がある。
1万円は覚悟したが、
なんと2,500円のところでメーターを止めてくれた。
な、な、なんというラッキー!!!

お陰で歩いて友人宅に着くより早かったのではと
思うほどの時間で私は自宅に到着した。

家でテレビをつけると
まるで3.11の時のような大騒ぎで
ニュース番組は津波一色。
日本地図の太平洋岸は真っ赤に彩られ
点滅し、注意を促している。

自分が行きも帰りの本当にラッキーの連続で
今こうして自宅に戻れたことを知った。

美味しいお料理と楽しいおしゃべり。
電車の運休に対する的確な判断と
何よりいいタクシー運転手さんに恵まれたこと。

「今日のことはずっと忘れないわね、きっと」と
お店を出るなり友人が言っていたが、
本当にその通り。

帰宅後、それぞれ自宅でひとっ風呂浴び、
まずはビールで一息つきながら
テレビで
大船駅タクシー乗り場の200人の長蛇の列の
映像を眺めつつ、
つくづく我が身の幸運を思った。

































2025年7月25日金曜日

「国宝」本で読む






映画の『国宝』を2度、観に行った。
2回目の方が1回目で見過ごしていた部分が
分かってより面白かった。

ならば、人間関係のこと、
歌舞伎へなぜ復活できたのかなど、
3時間の映画では描き切れなかった部分を
原作の小説で確かめたくなった。

Amazonで検索すると、
吉田修一氏の小説『国宝』上下巻は
文庫本で出ていたが、
映画の反響か、オリジナルの本の装丁の上に
吉沢亮と横浜流星の舞台姿の装丁が
二重にかかっているものが届いた。

いくつかの選択肢の中から、
送料485円が無料で、『anan』800円の雑誌がつくと
いうセットがあったので、取り寄せてみた。

さて、肝心の小説。

吉田修一がこの本のために考えたという
独特な文体がまず特徴的。

歌舞伎を弁士が語るような「ございます」で
終わる文末。
「だ・である調」でもなく
「です・ます調」でもない。

それに続く体言止め。

そのわき腹にぐさりとささる日本刀。
真っ白な晒し木綿に広がる鮮血から立つ湯気の
なんと獣じみたこと。
雪を赤く染めて倒れた若衆の、熱い背中に
彫られた般若の面にとける白雪の美しさ。

映画を観ているせいもあるが、
本当に鮮やかにそのシーンが目に浮かぶ。
美しい表現が随所にある。
とても映像的なのだ。

内容的には先に映画を観たせいで
何十年もにわたる複雑な人間模様や
心理の変化は小説ではこう書かれていて
映画ではこう解釈したのかと謎が解けた。

映画としては3時間は長いものだが
小説の方は上下巻あって
それはそれはの長編小説なので、
逆によくぞ3時間にまとめたと思う。

一番違っていたのは
小説では数多くの歌舞伎の演目が出てきて
その演目を演じる喜久雄や俊介の様子が
描かれているのだが、
映画の方に出てくる演目は絞り込まれている。

なかでも『曽根崎心中』と『鷺娘』が特徴的で
このふたつを
二組の役者で映画では演じている。

それが時代背景や、人間関係の変化に伴って
同じ演目を代々、継承していく歌舞伎界のあり方を
よく見せていて
個人的には映画の方が面白いと思った。

小説では最後の大演目に『阿古屋』が出てくるが
あれはちょっとやそっとでは演じられないし、
(女形の中でも玉三郎くらいしかできない)
実際に歌舞伎座で観た人には分かるけど、
小説の文章だけでは
本当のところは理解できないだろう。

なので、映画監督としても
そんな難役の『阿古屋』を
吉沢亮に求めるのは辞めて
『鷺娘』にしたと考えられるが
それが大正解だと思う。

映像美としてもとても美しかった。

また、小説の中で
万菊や俊介、喜久雄などが発する印象的な言葉が
あるのだが、
それを監督は逃がさず使っているのだが、
使う場面や歌舞伎の演目の違うところで使っていて
「お~、ここでか」と何度か感心した。

小説を読むことで、
長い年月で起こったことや、
なぜ、春江が喜久雄ではなく俊介を選んだのかの
意味が分かったような気がしたという点では
小説はとても面白かったし、
文体もいいと思った。

しかし、総括してみると、
映画の出来がとてもいいので、
個人的には映画が小説を上回ったと思っている。

小説から入ったという方には
もちろん、映画を観ることも
強くお勧めしたい。

日本映画史に残る名作だと思うから。







2025年7月20日日曜日

我が家のうなぎ飯

 







ひと夏に2~3回しか買わない鰻の蒲焼。
今年は少しお安いとかいうが
それでもちょっと躊躇するお値段だ。

スーパーで買ってくる鰻は
すでに焼いてたれがつけてある。
それを冷凍した状態で売っていることが多い。

さて、それを買ってきてどう食卓に出すのか。
ただ解凍しただただけではもろん美味しくない。
レンチンする人も多いかもしれないが
これもヘタをすると身が固くなる。

ここでひとつ私のうな丼の作り方をご紹介しよう。

まず、鰻は別にたれも一緒に買ってくること。

<鰻の蒲焼の温め方>
①最初に、たれ付きの蒲焼を流水で洗う
②フライパンに1cm弱の水を入れ、
鰻を寝かせて少し煮るというか温める
③別口で買ってきたたれを加え、更に温める
④器に温かいご飯を盛り、ご飯にたれをかける
⑤ふたつに切った鰻をご飯にのせ、たれをかける

この方法が一番鰻をふっくらさせることができる。

今回はけっこう大振りの鰻だったので
2尾のしっぽの方を少し切り、
う巻きも作ることにした。

う巻きのたまごは3つ使用し、
味付けは白だしと砂糖。
しそも敷くことで香りもいいし
彩も美しくなる。

<う巻きの作り方>
①卵を半量卵焼き器かフライパンに流し入れ、
箸で卵液をかき混ぜる
②全体が半熟になったらしそを3~4枚敷く
③その上に鰻をのせ、卵をかぶせながら
何回か卵液を加え、ロール型に焼く
④巻きすにとり荒熱をとってから切り分ける

鰻に合わせるお吸い物は肝吸いと
相場は決まっているが、
我が家では野菜不足を補うために
とうがんのスープを作ることにしている。

とうがんのスープは薬膳スープ系の味付けで
冬瓜、鶏もも肉、竹の子、しいたけが具材で
ショウガのスライスを沢山入れると
いかにも体によさそうなスープになる。

あとは、さっぱり酢の物が合うと思うので、
きゅうりとわかめと太めのちくわの酢の物。
白ごまも散らしている。

これに、ししとうをさっとあぶったものを添え、
ちょっと料亭のようなうなぎ飯の完成だ。

気を付けているのは
味のバランス。

鰻の甘みの効いたたれに対し、
ショウガたっぷりの中華スープの味と
酢の物の酸っぱさは
それぞれ引き立て合う味だと思う。

う巻きにしそを入れることで
出汁巻き卵にしその香りが加わり、
とても手が込んだ日本料理のように感じられる。

この程度の手間なら
猛暑日の夕方でも大相撲横目に
作ることができた。

鰻がメインなので
そこを失敗してしまうと
「あ~あ、あんなに高かったのに…」と
がっかりすることになるので、
この方法を、是非、お試しあれ。

きっと鰻専門店の味になるはずだから!!











2025年7月19日土曜日

蓮の取材とれんこん餅
















関東地方の梅雨が明けた。
梅雨らしい雨が降った記憶はないが、
「梅雨明け10日」の言葉通りの猛暑が始まった。

天気予報は
どこまでいっても晴れマークひとつなので、
意を決して、鎌倉の八幡様まで
今年も蓮の取材に出かけることにした。

例年だと、6月の梅雨入り前に出かけるのだが
今年は入院騒ぎがあり、
退院後は体調と相談しながら過ごすと決めた。

それでも、カウンセリングやパティシエ学校など
ペーパーバック版の本を抱えながら
案外、忙しい日々だった。

やはりまだまだ
重いものを持って坂道や階段を上がるのは
息が切れる。
更に熱中症にでもなったら大変だ。

猛暑の8月を家で静かに制作に充てるためには
まず、新作の原画を作成しなければならない。
そのためには新作用の蓮のスケッチに
行かなくては…。

いつもの年より、約1ヵ月遅れの源平池の蓮の花。
思わず「お~」と声をあげてしまった。

6月に見た時より、葉っぱが大きく伸び、
花も盛りを過ぎてはいるが大量に咲いている。

私が毎年、見ていた6月の蓮は、
まだ、咲き始めたところだったと判った。

このひと月で葉っぱは生い茂り
花は次々開花し、
すでに花びらの落ちた状態のものから
萎んでドライフラワーになったものまで。

まるで蓮の一生とでもいうような
さまざまな様相を呈していた。

三連休の初日ということもあり、
観光客の数も多く、
日本語以外の言葉も飛び交い
みんな一様に蓮の見事さに感嘆の声を上げ
スマホのシャッターを切っていた。

午前10時とはいえ、すでに日差しは強く、
スケッチブックを広げられるようなところは
見当たらなかったけど、
奥の政子岩の横の木陰に
おあつらえの石を見つけた。

私も写真はたくさん撮ったけど、
自分の手で描いたスケッチも欲しかったので
少しの間、そこに座って
スケッチブックを開き鉛筆を走らせた。

ちょうど木の陰になっていて、
時折、風が渡って心地よい。

脇にいる観光客の声は多少気になったけど、
帽子を目深にかぶっているので、
わざわざ描いている絵を覗き込みに来る人もなく
静かな時間が流れた。

こうして、次の作品のイメージを創る。

源平池は
源氏側と平家側に分かれていて、
藤棚のある池の周囲はベンチがいくつかあるせいで
とりわけ人が多い。

池には鯉や亀や鴨もいて、
中には鯉や亀にえさをあげている人もいる。
鯉や亀を絵に入れるという可能性はあるのか、
鴨はいけるか。

私だけ、全く別の視点で彼らを観ている。

蓮を扱いながらも、何を言いたいのか。
コンセプトを探りながら
蓮以外のモチーフを決めていく。

取材の段階ではそれは何も決まっていないので、
とりあえず、使うかもしれない子たちを
写真に撮り、脳裏に焼き付けた。

これ以上いると熱中症になりそうなので、
12時頃、取材を切り上げることにした。

帰り道、
小町通の日蔭茶屋で
「れんこん餅」と「麩饅頭」を求めた。
蓮の取材とれんこん餅。
なんだか、ぴったり。
盛夏の鎌倉。

最寄り駅まで戻って
スーパーを覗くと
「土用の丑の日」ののぼりと共に
ショーケース一面に鰻が並んでいた。

高くて手が出なかった今年も桃だが、
「丑の日セール」と銘うって
なぜか白川白桃も少しお安い。

今夜は鰻と冬瓜のスープ。
デザートは白桃で決まり。

2025年の7月。
いろいろあった上半期を思い起こした。
後半は少しは版画制作にシフトしよう。
そんなことを考えながら、
家路についた。

大相撲7日目。
さあ、今日の大の里はどうかな。
「推し」にドキドキする夕方である。
































 

2025年7月14日月曜日

最近の推し『亀井聖矢』

 











7月13日、石田様フリークの友人と二人、
渋谷のオーチャード・ホールまで
亀井聖矢君のピアノを聴きに行った。

Piano’s Monologue  亀井聖矢
~オールショパンプログラム~
第3回 協奏曲

場所がオーチャードホールで
午後3時開演だったので、
まずは渋谷のどこかでランチをと計画し、
センター街のはずれにある
イタリアン・レストランに行った。

相当久しぶりに歩く渋谷センター街は
若者しかいないので、
まるで私たちは異邦人。

地下のそのレストランももちろん初めて行く
所だったので、
一抹の不安はあったのだが、
行ってみれば隠れ家的な空間で
お料理も美味しく「当たり」だった。

オーチャード・ホールは
神奈川県民にとってはなかなかの遠隔地だったが
周囲の東横デパート本店や
Bunkamuraがすべて取り壊されてしまった今、
もはやオーチャード・ホールで
コンサートを聴くのもこれが最後であろう。
(きっとここも取り壊されるのだと思う)

亀井君のチケットはとても入手困難で
友人が苦労して
「バラバラの席だけどようやく取れたわ」といって
相当前に取ってくれたものだ。

今回の演奏はオールショパンプログラム
しかも協奏曲なので、
亀井君にとって
2025年春から挑戦していたショパンコンクールの
本戦前の手慣らしみたいなコンサートのはず
だった。
しかし、誰も予想だにしなかったのだが、
なぜかショパコンの2次予選で落ちてしまった。

予選落ちした時には
私達は「なぜ???」という気持ちが強く、
すぐ後のエリザベート国際ピアノコンクールで
5位入賞になるまでの日々は
「さぞや落胆しているだろう」と
私達も一緒に落ち込み、気を揉んだ。

そんな親戚のおばちゃんみたいな親衛隊も
少し月日が流れ、落ち着きを取り戻し、
コンサートの日を迎えた。
そして、
まずは美味しいもので腹ごしらえだ。

こちらのレストランも友人が探してくれた。
当初は単にコンサート前のランチの予定だったが
思いもかけない私の脳の手術と入院があり、
結局、「快気祝い」のランチになった。

先日の「うなぎとふぐ」の快気祝いの時の
友人と同じく、
友人達は皆、退院してすぐなんだから
無理しないようにと気遣ってくれるが、
当の本人は食欲モリモリ
何の食事制限もかかっていないので、
食べる気満々である。

今回の自分の写真をみると
ここ数日で顔つきも病み上がり感が抜け、
推しの聖矢君に生で会える喜びで
本当に嬉しそうだ。

入院中、病院食とはこういうものか、
この程度でカロリーや栄養価は足りるのか、
自分の料理は多すぎると学んだはずが、
退院1週間で掟は簡単に破られ
たぶん本日のイタリアンは完全に
カロリーオーバー。

それでも生きて美味しいものが食べられる
歓びに勝るものはなく、
「死んで花実が咲くものか」と
うそぶくHAGIWARAであった。

さて、コンサート。
こちらは東京フィルハーモニーオーケストラの
総勢50名ほどをバックに
亀井聖矢君のピアノ・ソロ。

若干25歳の若者。
甘いマスクに長い手足。
SnowManのひとりかと思うほどのイマドキ感。

そんな青年がニコニコと会場に出てきて
ピアノの前に座り、
紡ぎ出すショパンの協奏曲。

きっと、ショパコンの本戦までいき
最後に向こうのフルオーケストラを背負って
ソロで弾きたかったであろう協奏曲を
今、ここで弾いている。

「どんな気持ち?」とおばちゃん心はうずいたが
目の前の聖矢君はとても自然体だし、ピュアだ。

彼のピアノの音色はとにかく美しく
透明感がある。
目をつぶると夜のとばりが落ちるその時に
藍色のビロードが向うから広がり
真珠の粒とクリスタルの粒が無数に
転がってくる。

そんな映像が爽やかな風と共に見えてくる。

反田恭平のピアノの時も似た映像は浮かぶが
彼の音はもっと迫力があり、彼自身のオーラが重い。
亀井聖矢のピアノは透明度が高いので
真珠だけでなく
クリスタルの粒がキラキラ輝いている。

何かのインタビューで
「もうコンクール挑戦はこれでおしまい。
あとは世界中で演奏会をしながら
自分の世界を深めていきたい」
というようなことを言っていたと思う。

私の今の音楽界の推しは「亀井聖矢」
相撲界の推しは「大の里」

思わぬ手術と入院を経験したせいで
生で聖矢君の演奏を聴けることの歓びが
ひたひたと湧き上がってくる。

なかなか生では観られない「推し」達に
1年に1~2度会えますように
そんな思いで胸が一杯だ。

9月には横綱になった大の里の
生の取り組みを見る予定だ。
もちろん土俵入り姿も楽しみだ。

自分が日に日に元気になっていくのを感じながら
生きていてこその
わくわくドキドキだと心の底から実感した。